聖号十念

久しぶりのブログ更新となりました。年末に34年間お寺に勤めてくださったスタッフさんが急病で退職なさり、代替わりや業務調整でお時間を頂戴しておりました。当方のミスで編集途中の骨組み記事をお目にかけてしまい失礼いたしました。

また、年初の能登震災被害についても、改めてお見舞いを申し上げます。

私が浄土宗青年会に所属していた頃、東日本大震災をはじめ、数々の災害がありました。青年会委員を拝命中、被災地支援活動として現地に赴く機会をいただきましたが、いずれも災害直後から復興が始まった成果だからこそお伺いできた機会であり、喫緊のインフラ整備を担った方々、迎え入れてくださった現地の方々や御寺院には今も感謝の念にたえません。ともに手を合わせご供養をさせていただきました。また、各行事の土地柄を越えて私の心に印象深く残ったのは、

「どんな姿でもいいからと、ずっと帰りを待っている方々がいらっしゃる」ということでした。

浄土宗のご本尊「阿弥陀仏(あみだぶつ)」という仏様は、その悲嘆に応え、

「もし私のことを心から頼って『南無阿弥陀仏』という言葉で私の名前を呼んでくだされば、命の終わりに必ず私自身がお迎えに参ります」

「ご本人がご生前にやむを得ず唱えられなくとも、遺された方が心からの気持ちを手向けて『南無阿弥陀仏』とお唱えくだされば、ご本人の処へ参ります。どの世界におられようとも、その世界で命の終わりを迎えられたのち、『極楽浄土』という阿弥陀様の仏国土へお迎えくださいます」

という仏様です。

非常時では最悪の場合、寺院も裸一貫で避難せざるをえません。「本尊も位牌も諸道具も何もない」という辛い状況は歴史上に何度もありました。その全てを阿弥陀様はご存知です。

だからこそ、「南無阿弥陀仏」という7文字の言葉を口にしてくだされば、

例え目の前に亡き方のお身柄がなくとも、亡き方のもとへ阿弥陀様がお迎えくださいます。

ひるがえって見れば、この松光寺も「亡き妻や子と会えない」という「参勤交代の苦しみ」に応えて菩提寺となったお寺です。「参勤交代」とは江戸時代の反乱防止策で、「長男と、長男を産んだ正室は江戸に人質として留まる」という制度です。

当時は令和のような医療もなく、江戸にいる間に亡くなられる方がおられました。また、亡き方のお身柄を速やかに故郷にお連れすることができず、亡くなられた地に埋葬せざるを得ませんでした。最も強い権力を持つ将軍家ですら例外ではなかったのです。

「親しい人の顔を二度と見ることができなくなってしまう」という悲しみに応え、肖像画が産まれ、遺影が作られるようになり、現代では動画やAIなども出てきましたが、「どこまで行っても100%その方自身とは言い切れず、人が作るものには限界がある」というのがこの世のままならぬところです。

極楽浄土にはありとあらゆる悲しみ苦しみはありません。生前の怪我や病気は治り、会いたかった人にまた会うことができると言われています。

突然に親しい人をなくされた方々へ思いを致し、私自身も日々南無阿弥陀仏とご供養を続けたく存じます。

なき方々が、どうぞ極楽浄土で安楽にお過ごしなさいますよう、心よりご祈念申し上げます。合掌

天災地変 殉難横死 三界萬霊 有縁無縁 乃至法界 平等利益 南無阿弥陀仏

 

※被災地支援活動記事

浄土宗青年会の一年(熊本震災街頭募金について)

第3回被災地支援活動(東日本震災被災地支援活動)

大島慰霊訪問(平成25年土砂災害支援活動)