聖号十念

ようやく長い長い夕方が縮み、夏の終わりの気配を感じられるようになりました。先月の影響で今月も遅めのブログとなり恐縮ですが、

さて、先日話題になった映画「バービー」を見に行って来ました。(ネタバレ要素があるので行間をあけます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私(45歳日本人女性住職)にとっては「胸に秘めてきた悲しみをまあまあ解放してくれるものの、むしろ『お前は被害者でなく当事者だぞ』と言ってくる映画」でした。

私自身も、幼いころからバービー人形で遊んでいましたが、ピカピカツルツルのバービーには複雑な思いがあります。劇中内のセリフにもあるとおり、「何にだってなれる女子の理想形」として造られたバービーがもたらしたのは、良い影響ばかりではなかったからです。

私が思春期を過ごした90年代は、ボディポジティブなどという言葉もなく、「理想からはみ出た体型」の女子は露骨にからかわれたり、存在を無視されていました。女性には賞味期限があるように言われ、女子高生が自分を売り始め、自分で自分を傷つける行為が徐々に世間に知られて来たのを覚えています。私は中学で激太りしたので、自分自身に対し、心の中でひどい言葉を投げつけていましたし、同時に世間というものに対し大いに怒っていました。普段偉そうにしてる奴らがノーパンしゃぶしゃぶって。

バブル崩壊後の不景気とデフレは二十代の若手には厳しく、常に「成長して役に立っていないとヤバいんじゃないか」と毎日焦っていました。バイト先の店も実際潰れましたし。「必要とされる存在にならなくちゃ」と自分で自分を「買い手がつきそうなお行儀の良さ」に押し込めていたように思います。当時はなんだか分からないけど必死で、米ドラマのCSIやクリミナルマインドを見ては、アメリカは平等でチームワークがあっていいなあと思っていました。

ところがどっこい、2023年にもなって、未だにアメリカの大企業のトップは男性ばかりだそうです。海外でも現実はドラマのようには行かないのですねえ…。また、中盤で落ち込むバービーにキーパーソンが畳みかける怒涛のくだりにも驚きました。「多くの人に好かれよう」とすると、互いに矛盾する人たちの要求にも全て同時に応じざるを得ず、「右を向きながら左を向くような苦痛」が生まれてしまう…というのはアメリカでも同じなのですね。

また、「ケンはどうやったら幸せになれるか」が大きな裏のテーマになっていると思いました。

ちょっとバカで見た目しか取り柄もなく添え物のケンはバービーにとってチョロイ相手です。まるで前時代の女性のよう。しかし、「添え物から主役に進化したはずのバービー」はケンに魅力を感じていません。「かつての自分を見るようだ」と同情を寄せることもありません。バービー、ひどくない?「キャリアを男から奪う」のは結構だけれど、ピンクの視界になじまない弱者は無視なのかな?

「ケンはどうしたら幸せになれるか」を解決できたらノーベル平和賞がもらえるかもしれませんね。「弱肉強食」「適者生存」を人類は「ポリコレ」で超えることができるのでしょうか。映画では残念ながら明確な答えは出せていません。ホントの男女平等の果てには少子化とアンチとしてのイスラム化しかないのでしょうか。

そんな「バービーの都合」と「ケンの悲しみ」を同時に救おうとされたのが阿弥陀様を始め数々の仏様です。「誰一人見捨てず、全ての人の嘆きや苦しみに寄り添おう」とされた結果、阿弥陀様は無数に分身する能力を身に着けられました。それぞれの立場に寄り添い、いつでもいつまでも、皆の心を護ってくださいます。

それぞれが自分の心や立場を護りつつ、自由に発言できて、コミュニケーションを重ねていけば、未来は改善していくのではないかと思います。ご先祖様や亡き方々も、自分が何の心配もない極楽浄土におられるからこそ、この世で苦労辛抱しつつも創意工夫を重ねる現役世代を応援してくださっていることでしょう。

お彼岸も徐々に近づいてまいりました。各家のみなさまの安寧を、御先祖様ともどもご祈念申し上げます。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏