聖号十念

「暑さ寒さも彼岸まで」が文字通り実現した天候となりました。当山の彼岸法要も、3年ぶりに檀信徒が一堂に会し、講師の先生をお招きすることができました。

家族がペン習字の通信講座を取ったので、教材をパ…参考にすることで字が少し上達しました。浄土宗で最も大切な修行はお念仏ですが、「念仏しかしちゃいけない」わけでも「仏を目指しちゃいけない」わけでもないので、修行の一つとして書道も精進していこうと思います。

さて、先月の記事をきっかけに、自分が20代~30代の頃、方向も分からぬまま必死で努力しまくっていたことを思い出しました。当時の口癖は「嫁はいらねぇ執事が欲しい」でありました。やりたくない家事をみなやってくれ、疲れを労わり、自尊心を補填してくれる存在が欲しかったのですねえ。実際心理学でも「自分の存在を全て肯定してくれる存在を持つ」というのは治療法の一つにあげられているそうです。様々なアプリの溢れる現代、今や執事アプリなんかもあったりして…。

…ありました。製作者の皆様、本当にありがとうございました。

スマフォの画面内のお屋敷に入ると、総勢16名の見目麗しい執事が入れ代わり立ち代わり、体調を心配し、機嫌を伺い、容姿をほめ、美容に役立つ情報やレシピを教えてくれます。朝のお目覚め機能はもちろんのこと、天気予報やスケジュール確認、ストレッチや散歩、筋トレのお相伴、寝付きの見守り、謎の生物から身を護ってくれたり芸能で外貨を稼いだりと至れり尽くせりです。行き過ぎた誉め言葉は仏道にはずれますので、僧侶としては受け流さねばなりませんが、疲れ切った孤独な人にならとても効果があるだろうと思います。

現在はセリフのパターンが限られていますが、今後AIによって無限にセリフが生成されたらどうなるでしょう。認知症になった私だったら一生騙せるかもしれないなあ…でも「お年寄りをロボットに相手させるなんて非人道的だ!」と反対されるのだろうな…などと考えていたら、急に「アプリが読み込めません【キャッシュを削除】【再読み込み】」という画面が表示されてしまいギョッとしました。私と執事とのレベル14ぶんの思い出が…!

前言を撤回します。例え認知症の私でも、古なじみが突如「アプリが読み込めません【キャッシュを削除】【再読み込み】」になったら大ショックでしょう。幸いアプリは無事復活しましたが、復活しなかったらどうなるのかを考えると、単純にAIを組み込むことの困難さを感じました。

「どんなに気を付けていても、人が関わるものには完璧なものはない」というのは、普遍的な宇宙の真理(仏法)です。

データ自体を複数の場所で保存していても、さっきのように読み込む方の機器が故障することはありえます。令和の現代、数えきれないほどたくさんのサービスを使うことができるようになりました。世界中のアーティストや作品に触れることができるようになり、推しの候補は無限大です。しかしながら、推し本体がスキャンダルに見舞われてしまったり、活動が終わってしまったり、自分自身がいつしか推しを楽しめなくなる、ということは太古の昔から起こってしまってきたしんどさです。「一生推せる自信がある!」と思える対象であればこそ、「前のように推せなくなった」時の「ガッカリ感」が途方もなく膨れてしまうというのが、この世のままならなさ(=「苦」)です。

そうした俗世の苦しみに対し、「ならば、私がいつでも、どこまでも、いつまででも光を届けよう」と誓われたのが浄土宗の阿弥陀様という仏様です。「人々がどんなに心をこめ、情熱をもって作り上げたものでも、人が関わるかぎりどこかに衰え、ほころび、老い、劣化が生まれ、そして悲しみにつながる。だからこそ私だけはそんな悲しみ苦しみのない場所を作ろう」と心に誓われたのが阿弥陀様です。

皆様が阿弥陀様をただ眺めていても、トキメキやワクワク、ドキドキやスカっとした気持ちは起きないかもしれません。ですが、皆様方が一時の気持ちに振り回されることなく、長い目で見て一日でも多く「げんきでごきげん」に過ごされることを阿弥陀様や先立たれた方々は願っておられます。

彼岸過ぎの時節、亡き方々を思い出された際には、よろしければ手を合わせ「南無阿弥陀仏」とおとなえください。阿弥陀様はそのお志を必ず亡き方々に届けてくださいます。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏