筆耕・文責:石井綾月

皆様こんにちは。住職の與芝眞彰です。

昨今は次々に台風が上陸したり、一方で焼け付くような日差しを感じる晴天が訪れたりと、天候そのものが諸行無常を教えてくれるような日々ですね。私も季節外れの夏休みを頂くということで、今回は少し気楽なお話をさせて頂きます。

よく「無趣味なので退職後の趣味もなく、何をしたらいいものか」というお悩みをお伺いしますが、聞いている私の方も、今まで趣味といえるほどの趣味がなく、仕事ばかりで70余りまでを過ごして参りました。

子供時代を振り返りますと、戦後の日本はみな豊かとは言いがたく、娯楽の種類もあまり多くはありませんでした。私の父は教育には厳しかったため、放課後も毎日勉強ばかりしていた記憶がありますが、それでも今も鮮明に思い出されるのが、毎週土曜の半ドン(午後半休)の日に父に連れて行ってもらった東映のチャンバラ映画です。さみしいことに、今の民放ではほとんど時代劇は放映されていませんが、私の子供時代はテレビもなく、映画が大きな楽しみでした。東映の映画の8割は時代劇で、出演する役者さんも歌舞伎出身者が多く、身のこなしも大変美しかったのです。

中でもお気に入りの役者は椿三十郎。そのころ、黒沢監督がそれまで無音だったチャンバラ映画に「人が斬られる音」を取り入れました。今でも時代劇で人が斬られるときに「ズバッ」という効果音が鳴りますが、当時は初めて聞く音に子供ながら大きな衝撃を受けたのを覚えています。映画にとことん凝る監督が、人と体組織が一番似通っている豚をわざわざ斬らせて録音したという話です。血糊などの演出も凝っていて迫力がありました。見終わった後には、自分も椿三十郎になったような心持ちで、ヤットウと傘を振り回したものでした。

長じるにつれ、時代小説にも親しむようになり、藤沢周平(最近映画になった「のぼうの城」の著者)の作品や、幕末を描いた司馬遼太郎の「翔ぶが如く」などがお気に入りでした。司馬遼太郎氏の取材能力は驚くべきもので、ブリジストン資料館に自由に出入りし、実際に沖田荘司に会ったことがある方に取材するなど、読むだけで幕末の空気を間近に感じられる作品群を多々ものしています。

時代小説のみならず、古い文学作品を読むと、現代と当時の時代背景の相違が人の体や心にどんな違いをもたらすか、という時代考証の楽しみがあります。

先ほどの「翔ぶが如く」では、勝海舟が小石川から築地まで毎日歩いて仕事に行っていたくだりがあります。灯りが高価な時代ですから、人々は太陽とともに起き、夜は早寝。電車も発達していませんから移動はおおむね徒歩で、人に会いに行ったり用事を済ませたりするのも半日から一日がかりだったのです。人生五十年というほど短くはないものの、まだまだ寿命の短く、子供が成人するのが難しかった時代です。当時の人々はどんな気持ちで歩いていたのでしょう。一日一日の価値が、今よりずいぶん重かったのではないでしょうか。病気にかかっても、病院もなく保険もありません。健康であることのありがたみも、今よりずっと大きかったのではないかと思います。

また、当時はビルというものが全くありませんから、お寺の鐘の音が驚くほど遠くまで響き、増上寺の鐘の音が東京湾をまたいだ木更津まで届いたそうです。これもまた、情緒のある響きだったのではないかと思います。

時代小説では江戸期~明治時代に人気のある小説が多いですが、古い歴史を持つのは浄土宗や仏教も同じです。現代の私たちにはなかなか想像することが難しいですが、お釈迦さまが修行をするきっかけとなった「生老病死」の「四苦」から逃れられる人はいまだに一人もいません。今はカウンセリングなどの心理療法も発達してきてはいますが、「八苦」(心身の反応が思い通りにならない五蘊盛苦、欲しいものが得られない求不得苦、大切な人と別れる愛別離苦、嫌いな人と付き合わねばならない怨憎会苦)から抜け出るのも大変難しいことです。

また、浄土宗を開かれた法然上人は鎌倉時代の生まれです。歴史の教科書には「武士の台頭の時代」などと書かれていますが、法然上人は幼い時に武家の勢力争いのため、夜襲によって父親を殺され、その後修行のために母とも生き別れています。その後修行の末「すべての人を遍く救う」浄土宗を開かれたのですが、何を思い浄土の教えを開かれたのか、法然上人の生きた鎌倉時代へ想像を巡らせるのもまた興味深いことです。

現代と昔の違う部分は興味深く受け止め、比較しながら、現代と昔に共通する苦しみについては経典や歴史にヒントを探っていくことで、見えない苦しみの多い現代をより良く生きていく。これが今回のタイトルでもある「温故知新」につながっていくのではないかと思います。次回はもう少し掘り下げて、浄土宗の教えなどの面からお話しできればと存じます。

最近勤めを減らしたため、毎日歩く距離が減ってきました。現代は短時間でどこへでも移動でき、夜中まで活動できますが、その分体力が衰え、良く寝付けないといった方もおられます。昔のような生活も、健康のためには良いかもしれません。

私も勝海舟の道行きに思いを致しつつ、古地図を眺めながらウォーキングを楽しんでみようかと思っています。皆様の日々の生活も、より心豊かになることをご祈念致します。

【参考】
当時の街並みを外国人が写した画像集です。