聖号十念

彼岸の季節となりました。当山では前年に引き続き、無参列での厳修となりました。秋こそは皆さまのお顔を拝見できればと願っております。

さて、昨月の「長年の雨漏り・害獣被害」の修繕に引き続き、本月は「掲示板の修復」に着手しております。

20年以上前、書道師範であった祖母が書した「松光寺のいわれ」ですが、現在はご覧のような残念な状態です。

「いつか祖母を超えられるような字が書けたら自分で書写しよう」と思っていたのですが、パソコン世代の書道の上達は亀の歩みのごとし。

テープで修繕を試みるも紙の丸まる力にかなわず、下手に力を入れると和紙が破れてしまい、どうしたものかと難儀しておりました。「剥がして捨ててしまう」のが最も合理的でお目汚しもないのですが、「祖母の遺した仕事を捨ててしまう」ようで、どうしても気が進まぬまま数年が経っておりました。

ですがこの程、経本修理等を手掛ける業者さんのご協力を賜り、デジタルの力で修復の目処が立ちました。紙がもろくなっておりスキャナーにかけることもできないのですが、撮影した写真から破損前の状態に修復してくださるとのことです。100%元に戻ることはかなわずとも、祖母の仕事をこの先も残していけることに安堵いたしました。四月より順次作業を予定しております。

この「掲示板修復あれやこれや」を通じ、様々な学びがありました。私は元来新しいものが大好きで、近隣に駅が新設され、品川駅にかけての大工事が行われる作業をワクワクしながら見守ってきました。ところが先日、昔の線路の遺構が出土したため作業が止まってしまい、少々焦れた気分でおりました。しかし「昔の人の仕事を無に帰したくない」という思いは同じではないか、と思い直しました。幸い遺構は保存が決まったようです。

また、「遺品整理がどうしても進まない」というお話も耳にすることがございます。思い出が詰まった品であればあるほど、手放すのが辛いのはご無理のないことかと存じます。「百箇日忌は形見分けの目安」というしきたりもございますが、これは儒教が元になっています。「君子(国を治めるような立場の人)は100日くらいで区切りをつけるように」という教えです。確かに国を治める人がいつまでも泣き暮らしていれば、政が止まり民衆が困ります。場合によっては機に乗じて敵国や異民族が攻めてくるかもしれません。とはいえ、悲しみや辛さを無理に押し殺すことで、後々さまざまな形で辛さが出てきてしまうこともございます。そのため、当山では自然なお気持ちをせき止めることはせず、都度都度のお念仏をお勧めしております。

奇しくも祖母は今年で十三回忌を迎えます。遺筆修繕という供養ができた仏縁を阿弥陀様に感謝するとともに、皆様方が良きご仏縁と出遭われますよう祈念しております。合掌