4月とは思えぬほどのポカポカ陽気でございます。今月は緊急事態宣言解除以来、繰り延べされていたご法要等が重なり、ブログは大幅な遅刻となりましたことをお詫びいたします。そうこうしているうちに再びの緊急事態宣言。今回は対象も広がってしまい、私も心を痛めております。妹や従兄弟の子供たちもGWの思い出づくりができず、ちょっとした文房具で我慢しているそうです。

私も何かプレゼントなどできないかと考えておりましたところ、こんなパズルを頂く機会がありました。

「株式会社ハナヤマ」の「はずる」というパズルです。私が子供の頃は知恵の輪で遊んでいましたが、想像を超えるオシャレ度に進化しています。難易度も様々でデザインは60種類以上。お値段もお手頃で知育や脳トレにも良さそうです。以上、ステルスマーケティングならぬアカラサマーケティングでございました。

ちなみにまだはずせていません。

知恵の輪のように力任せに引きちぎることができない強度なので、何とかうまい手順を探さねばならないのですが、あちらを通せばこちらが引っかかる仕様で未だ難儀しております。

さて、正しい手順が分からず、どうしたらいいのか分からない悩みや、「どうしてこうなった」という苦しみは仏教においても大きなテーマです。

仏教には「因果応報」という言葉があります。全ての事は原因があって結果があるという考え方です。

また、お釈迦様は「全ての苦しみや煩悩のもとは何だろう」と考え抜かれ、「十二縁起」という「原因と結果の鎖」を説かれました。

日本には「風が吹けば桶屋がもうかる」という諺がありますね。「風が吹く→ホコリが舞う→目に入って視力を失う人が増える→三味線で生計を立てようとする→三味線が売れる→材料の猫が町中から姿を消す→鼠が増えて木工製品がかじられる→桶に穴が開く→桶屋がもうかる」という順番です。「物事には思わぬ結果が出てくるものだ」という意味ですね。

お釈迦様の「十二縁起」の順番は以下のとおりです。本当はとても長いお話ですが、なるべく専門用語を使わず分かりやすく書かせていただきます。

「①人は何故苦しむのか。いずれは老いて死ぬのが辛いから(老死)→②何故辛いのか。それは感情が生まれてしまうから(生)→③何故感情が生まれるのか。意識不明なら感情は生まれない。感情が生まれる心の働きがあるから(有)→④心の働きが生まれるのは何故か。対象となる相手への欲や執着があるから(取)→⑤何故欲や執着が生まれるのか。大事なものや人があるからだ(愛)→⑥どうして大事だと思うのか。一緒にいて楽しいとか、いないと苦しいと心が受け止めてしまうから(受)→⑦苦楽を受け止めるのは何故か。苦しいとか楽しいとか気づかなければ良いのに(触)→⑧そうは言っても五感や意識がある限り、苦しい楽しいはどうしても感じてしまう(六処)→⑨そもそも意識の働きがあり、身の回りに目に見えるものや見えないものがあるから五感によって左右されてしまう(名色)→⑩意識の働きのない赤ちゃんのような状態が良いのだろうか(識)→⑪そうは言っても赤子だって無意識のうちに動く器官はあるし、色々な行動をしながら心身が成長していくものである。(行)→⑫つまり、仏のように普遍の真理を見通すことができず、間違ったものの見方や考え方をしてしまうため、心がいつまでも落ち着かず、苦しんでしまうことになるのだ(無明)」

…最後に無理があると思った方、私も初めて学んだ時同じ思いでした。

確かに仏様のように正しいことだけ積み重ね、何事にもとらわれずに生きていければ、悩みや苦しみを少なくすることはできそうですが、「そうは言ってもうまくいかない」というのが浄土宗の考え方です。全ての原因や結果を何もかも見通すのは不可能に近いことです。世の中には色々な作品があり、多くの人の共感を呼んでいますが、「さよならするのは辛いけど、時間だよ、仕方がない」「好きだと気が付かなければこんなに苦しくなかったのに」「誘惑に負けて人生踏み外した、時間を巻き戻せたら」「異世界で〇〇したら~」などなど、十二縁起の鎖を表すフレーズが多いのは、それだけ人生がままならぬものであることを表しているように思います。また、五感があるからこその楽しみもあり、大切な人がいるからこそ頑張れることもあるでしょう。

そうしたこの世の苦楽をいつも見守ってくださるのが阿弥陀様という仏様です。もし皆様がお気持ちを手向けて「南無阿弥陀仏」とお唱えくだされば、阿弥陀様や極楽浄土の方々は、皆様それぞれの道行きに寄り添い、見守り、応援し、時に導いてくださいます。

まだ難しい状況の続く中ですが、少しでも良い報せが届きますよう、日々心より祈念いたします。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏