聖号十念

2月も終わりに近づき、受験シーズンもそろそろ終盤戦の時節となりました。今年も花屋さんが桜を通じて応援してくれています。当山でも、住職の甥が中学受験を迎え、妹の勤務病院でコロナを受け入れていましたため、一族総出で防疫を心がけましたが、不安と緊張の日々でした。伯母の立場ですらくたびれ果てましたので、各家のご当人やご家族のお気持ちはいかばかりかと偲ばれます。

昨年1月の記事では、皆様の受験の成功を祈りつつ、「なぜ勉強するのか」について記させていただきましたが、本年は「勉強に関するお釈迦様の言葉」をお伝えさせていただきます。

お釈迦様は「ダンマパダ」というお経の中で、次のようにおっしゃっています。

「正しい智慧を得て悩みや苦しみから解放された人は、心が静かに落ち着いて、ことばも行いも静かです。」

ここで言う「智慧」は単なる知識ではなく、「どんな時代でも揺るがない普遍的な真理」を表します。確かに、「何もかもがお見通し」であれば、先々の不安や悩みもなくなりそうです。

とはいえ、そうは問屋が卸さないのがこの世の世知辛いところです。意中の相手の気持ちから、明日の株価や自分の寿命に至るまで、世の中見通せないことだらけです。

ですが、「分からないからといって何もしないままでは、何かあるごとにパニックになって騒ぎ立てたり、悩みや不安に苦しむ羽目になってしまいます。少しずつでも、正しい智慧を得られるよう頑張ってみてはどうでしょうか」というのがお釈迦様からのお勧めだと思われます。ではどのように「正しく普遍的な真理」を得られるのでしょうか。

例えば何か困りごとがあったとき、人間はなんとかしようとして様々なことを考えます。

「どこまでなら分かるのか」「どうやったら分かるのか」「原因は何なのか」「現状を単純化できないか」「過去に似た事例はないか」「知っている人に訊けないか」「プロに頼めば何とかならないか」「片っ端から試行錯誤したらどのくらいの時間と費用でどんな結果が出るか」「この概算や統計は間違っていないか」「この人はウソをついているのではないか」などなど…。

インターネット上でも、毎日様々な情報と意見が溢れかえり、消耗している方も多いと思います。私もついつい「皆はどう考えているのだろう」と、ニュースサイトやあちこちから情報を集めた結果、余りに極端な意見を読まされ続けてかなりうんざりしました。インターネット分析の研究を見ると、「過激なことを言う人はごく一部で、少数の人が政府や制度への批判を物凄い回数繰り返している」とのことです。大多数の方はサイレントマジョリティーだそうです。私もそうです。

ネットでは、何が本当か嘘か分からないような素材が無数に出てきますが、「何がウソなのか見極める」ために、基礎の学校教育は大切だと思います。全ての契約書は各国の国語(貿易関係は英語が多い)で作られています。数字や統計が世の中の全てではありませんが、エビデンスとして大きな力になりえます。社会のしくみは完璧ではないものの、知らないより知っている方が良いことが沢山あります。

どうか、多くの学生がより良いカリキュラムの掛け算を入手できるよう、古い先達としてお祈りしております。

四半世紀後の後輩たちにより良いご縁があるよう祈念しつつ 南無阿弥陀仏 合掌