聖号十念

法務の為、通常20日更新のブログが遅れたことをおわびいたします。

本格的な春を前に、春を跳び越すほどのぬくもりや、急な春雨に見舞われる日々となりました。つい先日バスに乗ったところ、当山近隣の大学の卒業式が行われていたらしく、乗客の姿が華や花束に満ち溢れておりました。災害の渦中で学業と就活を乗り切り、やっと対面で迎えられた卒業式だったのでしょう。衣装も笑顔も本当にきれいで、この先に幸あれとエールを送りたい気持ちになりました。

さて、近頃色々な食品の価格が上がるというニュースが続いており、「食べ物の大切さ」をテーマにしようと食事の写真を探していたところ、スマートフォンのアルバムから5年前の写真が出てきました。

バレンタインのお返しにと頂いた手作りクッキーです。お菓子が焼ける男性はカッコイイですね。13名のチームで仕事をしていたので感慨深く、思わず綺麗に並べて写真を撮ってしまったという思い出です。

以前、このブログの「食前の言葉」という記事で、檀信徒や一般の方々に対し、「食前にお唱えする言葉」をお伝えしましたが、今回はその元になる「食事の前の作法」の一部「五観」についてお伝えします。今から1400年ほど前の中国のお坊さん「道宣」が書いた「四分律行事鈔」という本が元になっています。「律」とは「仏教集団が守る決まり」を説いたもので、合宿修行中の僧侶がお勤めするほか、他宗でも共通してお勤めされているようです。

五観というだけあって5つの要素で構成されています。

●一つには、この膳になるまでに食物がいかに多くの労力と手間がかかっているかという人々の辛苦を思い、またこの食物がどこからどのようにしてもたらされたかという施主の恩を思う。

→料理であれば、誰が作ってくれたのか、原材料は誰が育ててくれたのかを思いやって感謝しましょうという節です。食事だけではなく、調理器具からゴミ袋まで身の回りのもの全てに思いを致すことで、より感謝の気持ちを深めることができます。

●二つには、果たして自分にその食事を受けるだけの徳が具わっているかどうかを考えてみる。

→これはお坊さんならではの部分とも言えますし、一々そんなこと考えてらんわというお気持ちも解ります。一方、自分の「今日の頑張り」を振り返り、自分をいたわる機会ととらえることもできそうです。仏教ではいたずらに高級食材や豪華なレストランを持ち上げたり、利益率の低い食堂を貶めたりはいたしません。同時に儲け度外視の商売を祀り上げて神聖化もいたしません。焦点を定めて見るべきは対象は自分自身だからです。

●三つには、美味云々という気持ちが出たならば、それは三毒煩悩より生じた心であるから、くれぐれも食事の味に執着しないようにする。

→「うまい!」と感じてしまうのは人の感覚に関わることなので、止めることは難しいことです。また、口に麻酔をかけて何も感じないようにすればいいというものでもありません。ただ、「うまいが最高」だと思っていると、次に「あんまりうまくない」ものが出て来た時に、ガッカリや怒りの感情が生まれてしまいます。ひょっとしたら、作ってくれた人を恨むなりディスる気持ちになるかもしれません。「うまいかうまくないか」に囚われすぎてしまうと、仏道からはずれてしまうことになるので、やめておきましょうということです。

●四つには、食事は身を養い、命を保つための良薬としていただくものであり、飢渇を癒すためのものであると心得る。

→「おいしいもの」は基本的に栄養価が高いものなので、おそらく1400年前からグルメはあったのでしょう。王侯貴族は良いものを食べ、料理人たちは美味を競い合って腕を振るっていたのだと想像がつきます。「競争や成長」には良い面もありますが、行き過ぎると「余り美味しくないものは捨てられる」「腕の悪い料理人が貶められる」という事態に繋がります。また、昔は超格差社会ですので、食べていくことすら難しい人々が沢山いました。美味しいものに対しては料理人の研鑽に敬意を手向けますが、あくまで修行のための食事なので、「人からいただいた食事にアレコレ言うのはやめましょう」ということです。

●五つには、ただひたすらに仏道を成就するための食事であって、世間の名誉栄達などにまったく関係がないと観念する。

→「僧侶と名誉栄達」、一見全く正反対の方向のように見えますが、僧侶と言えども人間ですので、「浄土宗の中でトップに上り詰めたい」「自分の宗派を国家宗教にしてやろう」「もっと位の高い人に後ろ盾になってもらいたい」「世俗で出世できずとも、せめて文化の大家になりたい」など、色々な野心が想像されます。また、日本では「跡目争いに敗れて出家」「夫を亡くし出家」「政争に敗れて出家」するという、「やむを得ず出家したニワカ僧侶」が一定数おり「尼入道」などと呼ばれていました。後白河法皇のように、出家しても権力を持っていたり、政治的な捲土重来を期して戦乱を起こしたり、戦国時代の浄土真宗のように巨大な教団を築いたりした僧侶たちもおりました。そうした意欲が正しかったのかどうかは神仏にゆだねるしかありませんが、鎌倉末期、その日、その場で命を懸けた方々について、阿弥陀様は無下に断罪はいたしません。時代背景、個人のお気持ち、すべて汲み取りご供養したいと願っているのが阿弥陀様という仏様です。

「五観」という「食前の決まりごと」、いかがでしたでしょうか。「お坊さんって食事の前にこんなことを考えているのか」と興味を持っていただければ幸いです。

また、人によってはアレルギーやどうしても嫌いで食べられないものもあるかと思います。そうしたときは「南無阿弥陀仏」のお念仏をおとなえし、阿弥陀様を通じて作ってくださった方にお詫びを伝えていただくのもよろしいかと存じます。

一日も早く、災害と戦火が収まり、安定したサプライチェーンが戻ってきますよう、日々祈念いたしております。合掌

天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 国富民安 兵戈無用 崇徳興仁 務修禮譲