12月12日(火)、大本山増上寺にて、東京浄青第二回研修会が行われました。
講師は吉水岳彦上人、碩学の徒であられると同時に、山谷にあるご自身のお寺付近にて「ひとさじの会」という炊き出し活動を行われている方です。同世代として身の引き締まる思いで研修に臨みました。
研修のタイトルは「知っているようで知らない善導大師のみ教え③-十四行偈ー」。
「善導大師(ぜんどうだいし)」「十四行偈(じゅうしぎょうげ)」、どちらも皆様には見慣れない言葉であるかと思います。少し難しいお話になりますが、お付き合いいただければ幸いです。

「善導大師」は中国のお坊さんで、「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」というお経の解説本「観経疏(かんぎょうのしょ)」という本を著した方です。
「観無量寿経」というのは、前半部が阿弥陀様に帰依するまでの某国王妃様の伝説、後半部が阿弥陀様のお姿や極楽浄土を実際に少しずつイメージしていくステップについて書かれたお経で、浄土宗が最も重視する三つのお経の一つに数えられています。

浄土宗を開かれた法然上人はこの「観無量寿経」の解説本である「観経疏」に出会い、善導大師の言葉に感銘を受けたことがきっかけで開宗されたという経緯がありまして、その為「十四行偈」は浄土宗の教本の冒頭に記載されるほど重視されています。「十四行偈」は「観経疏」の冒頭部分にあたる、「これからこの書を読む人に向けた心構え」について書かれた部分です。
浄土宗は「心から南無阿弥陀仏と称えれば、阿弥陀様がどんな方でも極楽浄土に導いて下さる」という宗派で、そのため皆様にはご法話の最後に一緒に十遍のお念仏、南無阿弥陀仏を10回一緒にお称えしてくださるようお願いをしております。この「心から」というのが肝心な「心構えの部分」です。

「どんなに野放図で無責任な行動をとって誰かを傷つけようが、自堕落で自暴自棄な生活をしようが、南無阿弥陀仏さえ称えれば極楽行けるんだろ」という舐めた心でお念仏をしたとしても、阿弥陀様はそれも見抜いておられます。もちろん、舐めた心になってしまう裏には色々な悲しみ・恨み・憎しみが隠れているのもご存じではあるのですが。
ではどんな心構えでお念仏をすれば良いか、ということがこの十四行偈には書かれています。
三宝(仏法僧=阿弥陀様ご自身・阿弥陀様の普遍的な教え・阿弥陀様を信じる仲間)を信じること、三心(至誠心・深心・廻向発願心=嘘やごまかしや見栄のない心・輪廻転生を繰り返してきた私たちを救おうとしてくださる阿弥陀様を深く信じる心・自分だけでなく周囲の人の善い行いを、共に極楽浄土へ手向ける心)を持つことの大切さが主な内容ですが、詳細についてはまた改めてお話できればと思います。

急にこんな難しいことを書かれても、こんな立派な気持ちにはなれない、と思われる方もいらっしゃると思います。現代は資本主義経済で時代の流れが速く、日々の売り上げ、やりくり、目標、成績、いいね!の数など、数字に追われてしまいやすい世の中です。ですが、お寺にお参りくださり、ともにご法要をお勤めし、先に逝かれた方々のことを思い出されている間だけでも、世間の時の流れを一度棚上げにして、ゆっくり思いを巡らせて頂ければと願っております。

皆様それぞれの立場ながらの苦しみを全てお救いしたい、力になりたいと思われているのが阿弥陀様という仏様であり、そのお心を皆様に伝え続けて行くために、我々僧侶は自分の心をいつも点検していなければなりません。僧侶であっても人の身ですので、日々揺れ動き迷いやすい凡夫(ぼんぷ)の心ではありますが、折に触れ自分を見つめなおし、より仏様に近い心になりたいと改めて考え直す機会を頂く研修会でした。社会に出るとなかなか勉強する時間も機会も元気もない状況の多い中、こうした機会をもたらしてくださった皆々様に心より感謝致します。
合掌

第2回研修会