しばしのご無沙汰を失礼いたしました。副住職の石井綾月です。
お陰様で当山もなんとか年を越すことができました。
住職不在で皆様にはご心痛をおかけしておりますが、本年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、本記事では年末年始の浄土宗青年会の行事についてお伝えさせて頂きます。
12月26日、東京浄青主催の別時念仏会を増上寺慈雲閣にて行いました。
慈雲閣とは、平成元年(1989)増上寺開山・酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人の
550年遠忌記念事業として再建されたお堂です。
写真をご覧頂くと、お坊さんの像が中央にお祀りされておりますが、
こちらが 聖聰上人像です。
前回の研修会で学んだ「十四行偈」と共に、皆で礼拝をしお念仏をお唱え致しました。

そしてまた、1月17日には、関東ブロック浄土宗青年会主催にて、
増上寺大殿にて別時念仏会が行われました。
増上寺で一番大きく勇壮なお堂の大殿に多くの青年僧が集うさまは壮観です。

さて、先日の記事で「別時念仏会とは、主に念仏を長時間に渡りお唱えする修行」と
お伝えしました。もちろん、阿弥陀様に心を集中して、一心にお救いを祈ることが
最も大切なことではありますが、私はまだまだ心の散り乱れることが多い凡夫の身です。
今までは長時間の正座で足の故障が再発し、ご迷惑をかけないかが気にかかっていましたが、
何とかお勤めが叶うようになってからは、家族の体調に関する心配事や、
一人でお勤めするご法要についての懸念などが沸き起こってくるようになっておりました。
誠に人間の雑念とは果てのないものだと思います。

ですが、 「十四行偈」を説かれた善導大師のお言葉について調べていくうちに、
「慈心相向 佛眼相看」という言葉に出会ったことがきっかけで、
「雑念を無理に押さえつけるのではなく、お念仏中に阿弥陀様のお姿に目を向けることで、
『阿弥陀様ならこの事態をどのようにご覧になるだろう、どのように捉えられるだろうか』と
物事を捉えなおすことができる」ということに気づきました。
この「 慈心相向 佛眼相看 」というのは「仏様のような慈しみの心をもってお互いに向かい合い、
仏様のようにお互いを見る」という意味です。
私は仏様にはまだほど遠い未熟な心の持ち主ではありますが、仏様の目線を通じて考えることで、
落ち着いた気持ちで問題と向き合うことができ、念仏修行に心が戻るまでの時間が短くなりました。

「今どうなっているかが分からない、この先どうなるかが分からない」という状態は
仏教においては「無明」と呼ばれており、真っ暗で何も分からないからこそ
不安や懸念が沸き起こってくるのだと教えられておりますが、
阿弥陀様のお心とまなざしを思い浮かべることで、阿弥陀様の光が心に届き、
改めて阿弥陀様の偉大さやありがたみに心を向けられたように思います。

皆様が悩んでおられるとき、何か気がかりなことがおありのときも、
よろしければお仏壇のご本尊や、西の方に向かってお念仏をしていただければ
お心が少し楽になるかもしれないと思い、書き留めさせていただきました。

今後とも精進してまいります。
合掌