抜けるような秋晴れを楽しめる日々となりました。皆様におかれましては、少しずつ安心してお出かけされていることと拝察いたします。当山も、繰り延べされていたご法要が再開され、皆様のお顔を嬉しく拝見しております。

さて、先日ワクチン接種のため、地元の診療所を初めて訪れる機会がありました。初めての場所に出掛けるのは久方ぶりでしたので、ついキョロキョロと辺りを眺め渡してしまいました。壁にかかっている振り子時計や、飾られている絵の額縁などには懐かしい雰囲気が漂っています。コピー機に何度もかかってきたであろう問診票、靴を脱いで上がる玄関先など、子供の頃に遊びに行った祖父の診療所が思い出されました。

名前を呼ばれ処置室へ。1つの瓶から6人分のワクチンが取れるためか、私を含め6人で一組のようです。自治体から派遣されたお医者さんからまずワクチンについての説明、その後副院長の問診となりました。

正直なところ、私はワクチン接種に対して謎の恐怖と不安がありました。身内は医療関係者ばかりなので、「ワクチン接種の効果とリスクを定量的に勘案すれば接種は妥当」だと頭では分かっているのですが、小学校で受けた日本脳炎の予防接種がやたらと痛かったので注射全般が苦手です。また、副反応が長引いて法要に差し支えたらどうしようかと気がかりでした。

思い切って気持ちをそのまま副院長に訴えてみたところ、「ちょっとびっくりするくらいのいい笑顔」が返ってきました。続いて、深みのある良いお声で明確なお答えをいただきました。曰く「痛覚は皮膚の表面のみなので、ほとんど痛みはありません」「副作用の軽い鎮痛解熱剤で副反応は十全に抑えられます。多めの水と一緒であれば食後でなくても服用して大丈夫ですよ」とのことです。「なんて頼りがいのある方なのだろう…」と感動してしまいました。感動しているスキに注射も終わっていました。

待機時間を終えて待合室に戻った時、ソファに高齢の女性が座っておられました。きっと地元の方なのだろう、かかりつけ医として副院長を頼りにされているんだろうな、などと考えているうちに「あっ」と気が付いたことがありました。

私が「懐かしい」と感じていた待合室の雰囲気は、高齢の方にとっては「自分が長年なじんできた空気」です。多くのものが急変化していく昨今であればこそ、病院にかかる回数の多い年齢の方々にとって、なじんだ空間なら少しでも安心して過ごせるかもしれない。そのような医院のお心遣いなのではないかと思い至りました。

お寺も古くて不便なところもありますが、「昔ながらの良さ」もあるのかもしれません。皆様がより安心して亡き方に思いを手向けられますよう、私も精進したいと心を新たにできた一日となりました。

さて、副院長の言葉が見事私の不安を吹き払ってくださったように、人の言葉には良い一面もありますが、一方で悪口やお世辞など、悪い一面もあります。

お釈迦様は「スッタニパータ」というお経の中で、次のように戒めておられます。

「人は生まれながらに口の中に斧が生えている。

愚かな人は他人の悪口を言っては、それで自分自身を斬っている」

「悪口」は、頭でダメだと思っていてもつい出てしまうものです。また、辛口批評と悪口の境界線もあいまいですし、今はちょうど選挙戦の最中ですので、敵失をあげつらうのも一つの戦術でしょう。

しかし、人間の脳には古いところが残っていて、主語が理解できないと言われています。脳は他人への悪口と自分への悪口が判別できないのだそうです。「悪口を言う人は、自分で自分の口の中を傷だらけにしています。本当にそれでいいのですか」とお釈迦様は皆を心配してくださっているのです。

言ってしまった悪口はもうもとに戻せないとしても、お釈迦様をはじめ阿弥陀様やご先祖様方がこちらを心配してくださっていると思えば、次に悪口が出そうになった時に少し踏ん張りが利くかもしれません。

折しもスポーツの秋、例年浄土宗青年会では各教区対抗スポーツ大会が行われる時期ですが、浄土宗青年会には面白い風習があります。

「敢えて相手チームを応援する」のです。もちろん勝敗はついてしまうのですが、和やかな親睦活動となりますし、相手のファインプレーを誉めたたえることで、自分たちも笑顔になる効果が生まれます。

うまく行かない日があっても、阿弥陀様やご先祖様方はいつも皆様を応援してくださっています。気持ちにゆとりがある時から、是非誰かの良いところを当人にお伝えしてみてください。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏