聖号十念

お盆明けにもかかわらず、関東は木々の緑も焦げんがばかりの日差しが続いております。様々な天災地変の中、皆様各々に様々なお考えのもとお過ごしの事と拝察いたします。寺院での回忌法要等につきましては、昨年と異なりキャンセルや延期のお申し出は絶えました。久方ぶりに大人数で集まれた嬉しさをこらえて、穏やかに談笑されている様をお見受けしております。

さて、本日は自死者追悼法要の取材をきっかけに、「仏教タイムス」様に私自身について取り上げていただきました。以前東京新聞に寄稿させていただいた時は、私自身が文章を書いていましたが、今回はプロの記者様の手によるものです。大変暖かい目線で取り上げていただいたので、いささか照れる部分もありますが、ご笑覧いただければ幸いです。

先月より、宗教団体が大きく取沙汰されており、私も一人の宗教に携わる者として、改めて自問自答することが数多くございました。

この世は何かにつけ理不尽で世知辛いことが起こります。そのような苦界で、何とか毎日踏ん張っている方々お一人お一人の事情やお心を全て見通した上で、支えとなりたいと願っているのが阿弥陀様です。亡き方とご遺族の関係のみならず、家族同士の悩みや、社会で生きていく辛さに関わる苦しみを少しでも和らげ、より温かいご縁をつなぎ、悪い巡り合わせを遠ざけ、ひいては一族郎党の長久繁栄を願う仏様だからこそ、私自身は浄土宗と阿弥陀様を信仰し、僧侶としてお勤めを続けて行きたいと志しております。

「何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊の言葉である」という『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』の一節は私の座右の銘の一つです。

「どんな言葉であれば、この方の心を長い目で見て良い方に向けられるだろうか」という仏様の心と目線に一歩でも近づけるよう、今後とも精進努力してまいります。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏