聖号十念(本日は10月・11月に比べてとても長い記事です。お時間を頂戴いたします。)

令和三年もいよいよ暮れが見えてまいりました。いつも様々な企画で目を楽しませてくださる街角の花屋さん、今月は正月飾り特集を組んでおられました。

昔ながらの意匠からカラフルなものまで色とりどりで美しいですね。神道の飾りは華やかながらもどことなく清冽で厳かな雰囲気をまとっているように感じられます。

さて、先日私にとって残念な出来事がありました。簡潔に申し上げますと、

「スーパーからの帰宅途中、よろめくほどの強風に襲われ、ようよう家に着いたら眼鏡がなかった」

風で傘が飛ばされた。ままあることです。風で帽子が飛ばされた。映画では定番のロマンチックです。

風で眼鏡が飛ばされた。…映画は映画でもコメディでしょう。布団ならともかく眼鏡じゃダジャレにもなりゃしません。

「こんなことってある?」と独りごちつつ、そもそも眼鏡を忘れて外出したのではと家探しすれど見当たらず。

スーパーまでの道のりを探しに出ました。ひょっとしたら親切な人がその辺の敷石にそっと載せてくれているかもしれない。ちょっとメマイがしてきました。ガチャ目(左1.0 右0.1)なので視界がカオスなのです。

はかない希みむなしく、突風に襲われた交差点までたどり着いてしまいました。飛ばされたのがここなら、車に轢かれてバラバラに飛び散ってしまっているかもしれない。

段々気持ちがションボリしてきました。

十年近く前、家族と揃いで誂えた眼鏡。以来おはようからおやすみまで毎日一緒に過ごした眼鏡。辛い修行の時も、ご法要の時も、住職代替わりの時も、ずっと助けてくれた眼鏡。愛用しすぎてスペアの眼鏡をどこにしまい込んだか忘れるほどだった眼鏡。うつむけば落ちるほど蝶番のネジがゆるんでいたのにほったらかして悪かった。うっかり眼鏡に名前をつけなくてよかった。つけていたら呼びながら探すところだった。

結局あきらめて帰宅したのですが、視界もままならない中、ションボリがガックリに進化していたので、阿弥陀様のお力をお借りすることにしました。

阿弥陀様は、亡き方やご遺族のために極楽浄土という安住の地を造られた仏様ですが、ままならぬこの世に生きる人々の心の支えになりたい、寄り添いたいというお心をお持ちでもあります。どんな悩みを打ち明けても、バカにしたり軽んじたりはなさいません。また、誰にも分かってもらえないような気持ちや、自分にしかないコダワリも全てお分かりくださる方でもあります。時間の制約もないので、涙が止まらない間もずっと傍にいてくださいます。

阿弥陀様とともにガックリの正体を解きほぐしていくうち、色々なことが見えてきました。

眼鏡自体は作り直せないほど高価なものではありません。全財産をなくしたわけでもありません。例えばとして手持ちの株が紙屑になったとしても、違う種類のガックリになると思います。私は有名人ではないので、「私の眼鏡」の市場価値はゼロです。また、眼鏡を誂えた時のワクワクした気持ちや、その後の苦楽を共にした思い出が消えてなくなった訳でもありません。ですが、私にとって「今はなきあの眼鏡」は思い出のよすがであり、長年の相棒であり、ペルソナの一部でした。「眼鏡は顔の一部です」というCMがありましたが、言いえて妙だと思います。また、「長年愛用したものをなくす」のは初めてだったので、それも一因だと思います。43歳にしての初体験ですが、長年愛用した経験がなければできなかったことです。

ここまでは「なぜガックリきたのか」について頭で納得できたことですが、「なじんだ眼鏡が手元にない喪失感」や「車に轢かれてバラバラになった眼鏡を想像する辛さ」は理屈では如何ともしがたいものです。阿弥陀様は「南無阿弥陀仏」と心から念じた方は必ず極楽浄土にお迎えすると誓われた仏様であり、ペットのように自分で唱えられない場合はご遺族がお唱えされればよいと志しておられます。では自分の眼鏡のためにお念仏をすれば、極楽浄土に眼鏡が招かれるのでしょうか。極楽浄土では「求めて得られない苦しみがない」場所ですので、「あの日なくした眼鏡に会えない苦しみ」もないはずです。ご出棺前に、ご遺族が故人のお身柄の周りに眼鏡や様々な思い出の品を敷き詰められるのも、「あちらに持って行って欲しい」というお気持ちの表れですし、阿弥陀様はそのお気持ちを必ずお汲み取りくださると伝えられております。

そのようなわけで、人生初ではありますが、「今までありがとう。お疲れ様でした。阿弥陀様、どうぞ極楽浄土でも会えますようよろしくお願いいたします」という思いを込めて南無阿弥陀仏のお念仏をさせていただきました。

次の日、長年お世話になっているトレーナーさんにかいつまんだ話をしたところ、

「その眼鏡はさ、あやさん(私)にどうにもならん死に際を見せたくなかったのかもしれんよ。猫みたいに」

というお言葉をいただきました。そうだな、そうであってほしいな、そして最後は阿弥陀様に招かれたらいいなと思いました。

振り返ってこの年の瀬、大掃除の時期でございます。各御家庭におきましても、取捨選択の中、何を手元に残すかお悩みのことと存じます。また、季節いかんに関わらず、御遺品の行く末に関するご相談も承る機会が増えて参りました。災害等の様々な事情で、家財をなくした方もおられます。個々のお悩みに阿弥陀様は寄り添ってくださいます。

思い出深い物品のため、手放す品々のため、もし「南無阿弥陀仏」のお言葉をおとなえくだされば、阿弥陀様は皆様のお言葉を聞き逃すことはありません。はるか昔に別れを告げた物品についても、想いをお汲み取り下さることでしょう。

皆様が少しでも晴れやかな新年を迎えられ、より多くの吉報に恵まれますよう、心よりご祈念いたしております。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏