長い梅雨もようやく奄美より明けの報せが届きました。時節柄、皆様様々なご事情の中、日々お過ごしの事と拝察いたします。また、被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

当山も感染防止を第一にお勤めしておりますが、檀信徒の皆様が一堂に会する行事は難しい状況です。皆様のお顔を思い起こしつつ、ご本尊の前でお念仏をお唱えしております。

そんな日々の支えとなってくださったのが、皆様からのお便りです。

美しい絵ハガキや、近況をお知らせくださるもの、謝意や励ましのお言葉、寺院へのご質問やご要望など、全て尊いお志と受け止めております。このような状況だからこそ、有難みが心にしみいります。

私の知る限りでも「帰省ができず、家族の顔を見せられない」という方が数多くおられます。色々便利な手段も増えたとはいえ、オンラインになじまないご実家もおありでしょう。電話ももちろん喜ばれるでしょうが、ご家族でお手紙を送られるのはいかがでしょうか。私の母も、孫たちの絵や手紙を宝物のように飾っています。手元に残り、毎日眺められることが嬉しいそうです。

浄土宗を開かれた法然上人の書簡も、いくつか後世に残されていますが、その一つが「式子内親王(しきしないしんのう)」とのやり取りです。内親王は百人一首でも有名な歌人でしたが、齢50歳を超えて病が深まり、法然上人に「お会いしたい」と使いを出されました。「別時念仏」という修行の最中だった法然上人は、念仏の傍ら長いご返信を書かれました。

手紙の中で法然上人は、内親王をいたわり励ましながらも、「お会いすることで生への執着が生まれ、心の迷いになるかもしれない」とお見舞いを断ってしまわれます。内親王は法然上人に心を寄せておられたとも言われておりますので、無理もなかったのかもしれません。続いて「先に往くか後に往くかかの違いはあれど、極楽浄土でともに語り合い、お互い仏道の助けとなることができます。ですから一筋にお念仏をお唱えください」と述べられます。そして「私の修行も、自分のためだけと思っているわけではありません。おりしも病の事を承ったからには、念仏一声一声の一つも漏らさず、あなたの極楽往生の助けになるよう気持ちをお手向けいたします」と誓われました。

このお手紙をご紹介いたしましたのは、「お見舞いや面会に行けない」というお声を聴いたためです。ご家族ですら面会が難しい中、お手紙を書こうにも先方がお読みになれない場合もあるかと存じます。皆様が大切な方を思い、心を込めて南無阿弥陀仏とお唱えくだされば、阿弥陀様は必ずそのお気持ちをお汲み取りくださいます。

私自身も凡夫の身ではございますが、阿弥陀様のご加護により皆様のお心とお体が少しでも安んじられますよう祈りつつ、日々勤めて参りたいと存じます。合掌

天災地変 殉難横死 三界萬霊 有縁無縁 乃至法界 平等利益 南無阿弥陀仏