聖号十念

抜けるような青空にひとひらの白い点…

かと思いきや、どこぞへ向かう飛行機の機影でした。昨今では空の行き来も回復基調ですね。近日中にはマスクの装着範囲がより柔軟なものになりそうです。

一方で、方針の変化に対応しなければならない各事業者の方々の大変さが目に浮かびます。マスクをどの程度つけるべきかについては、それぞれの立場や事情で「正しい・適切な」尺度が全く違いますので、どうしてももめごとの原因になりがちです。日頃の生活の中でも、ギョッとするような振る舞いをする人、思わずイラっとくる言動など、「自分は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に…」と思うこともおありかと拝察いたします。友達や家族に愚痴って発散するのも一つの手ですが、余りに重なると相手も聴き疲れてしまいますので、「仏道では苦しみをどう扱うか」についてご紹介いたします。

お釈迦様は「何故人の悩み苦しみが尽きないのか」について「十二縁起」という「全ての出来事の原因と結果を探る考察」をなさり、全ての根本原因は「無明(むみょう)」であると悟られました。この「無明」とは「人間が誰しも持つ、盲目的な身勝手さ、至らなさ」を表しています。これは、人間はダメな生き物だという意味ではありません。

人間は自然界において、本来は弱い生き物です。自分の命や生活を守ろうとする上で、どうしても考え方やモノの選び方にクセが出てきます。自分に安定や安心、利益をもたらしてくれる環境、人に近づき、できればいつまでも続いてほしいと願う。一方自分と違う者、自分に危害を加えそうなものは遠ざけ、滅ぼしたいと願ってしまう。生存本能とも人情とも言えるでしょう。しかしながらこの偏りやクセのせいで、仏様のように全てを公平に見通し、現実をそのまま受け止めることができない。大切なものは手放したくないし、身内はかばうしヒイキする。敵にはレッテルを貼り愚かだと見下す。確かに楽だし近道ではあります。しかし楽をした分、心に覚悟ができていないので、イザと言う時、自分や家族の病気などがあると正常な判断力を失ってしまいます。そして悪意の人に騙されたり、状況が更に悪化し悩み苦しみが増すことになってしまう。

そうなる前に「普段から生活を整え、仏の道に反する行いは避け、仏様のように物事を見る訓練や修行をしてまいりましょう」というのが仏教の教えです。弱いが故に生まれた考え方のクセは、自覚をすれば修正していくことができるからです。

体の弱い家族をかばいたい方も、限られた時間の中で自分の可能性を最大限伸ばしたい方も、それぞれ大事なものが違うだけで、仏様から見れば替えのきかない存在です。お互いのエネルギーを言い争いにぶつけるより、その力を家族や本業に向けられたほうが長い目で見て良い結果を生むのではないでしょうか。

一つの考え方としてご紹介をさせていただきました。しかしこれはあくまで一つの考え方です。とてもこんなキレイゴトなんか聞いていられ気分でない方もいるでしょう。面倒くさい、疲れると投げ出したくなるお気持ちもわかります。

そんな方の力になりたいと思われたのが阿弥陀様という仏様です。イライラ、モヤモヤ、納得の行かない気持ちを「南無阿弥陀仏」のお念仏に乗せて阿弥陀様に全力投球してみてください。悩みや苦しみがすぐさま消滅することはないかもしれませんが、少なくとも「誰にもわかってもらえないまま一人で怒っている」状態からは抜け出すことはできます。

仏の道は八万四千あるとも言われており、歩み方は人それぞれです。お念仏をとなえる方々も、仏道修行にチャレンジされる方も、ご自身で新たに思いついた道を邁進される方もおられるでしょう。どんな挑戦も、阿弥陀様はお釈迦様とともに支えようとしてくださっております。今後も皆様がすこしでも良いご縁に恵まれますよう、そして一日でも笑顔の日が増えますよう、私自身も祈りつつお勤めさせていただきます。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏