猛威を振るった日差しも落ち着き、やっと「暑さ寒さも彼岸まで」と言えそうな気候となりました。医療関係者をはじめ数々の方々のご尽力により、少しずつ「この病に対しどう振る舞えば良いか」が知られてまいりました。

都内に在する当山の状況ですが、9月22日の秋彼岸法要は念のため無観客開催といたしましたが、8月末ごろより「そろそろ繰り延べしていた法要を行いたい」というお申し出を頂いております。全員勢ぞろいとは行かないまでも、ご親族が待合室で笑い合っておられる声を漏れ聞き、私自身も温かい気持ちになりました。また、「どこにも出かけられず気楽におしゃべりもできなかったけれど、法要をきっかけに色々話ができてよかった」というお気持ちも伺いました。

オンラインという技術には優れた面も多いですが、「同じ空間で体験を共有し、気持ちを分かち合いたい」と思っておられる方がことのほか多いことは新たな発見でございました。

とはいえ、「まだまだ怖くてお参りに行けない」「参列したいが家族が心配している」といったお手紙も頂いております。家族の数だけご事情があり、ご事情の分だけお悩みがあることと拝察いたします。

本日は、「一心専念(いっしんせんねん)の文」という一節をご紹介させていただきます。この文言は、浄土宗開祖の法然上人が「心の師」と仰がれた「善導大師(善導大師)」の著した「観経疏(かんぎょうのしょ)」の一部です。

(中国・西安 香積寺 善導大師像 浄土宗HPより)

『一心専念弥陀名号(いっしんせんねん みだみょうごう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)

不問時節久近(ふもんじせつくごん) 念念不捨者(ねんねんふしゃしゃ)

是名正定之業(ぜみょうしょうじょうのごう) 順彼佛願故(じゅんぴぶつがんこ)』

『心を込めて南無阿弥陀仏をお唱えし、いつでもどこでも、場所や時間も気にすることなく、お念仏を続けられる事こそ、阿弥陀様が極楽往生に相応しいとされた修行です。なぜなら、「あらゆる方の力になりたい」と願われた阿弥陀様の願いにかなっているからです』という意味です。

「行住坐臥」の「行」は行動しているとき、「住」は止まっているとき、「坐」は座っている時、「臥」は横になっているときを表します。体調が悪いときは横になりながらでも構いません。真夜中にふと亡き方への想いが沸き起こってきたとき、不安や迷いの中におられるとき、是非お念仏をお唱えください。どんなときでも阿弥陀様は、俗世で悩みながら生きる私たちを心にかけてくださっています。

「ご法要を延期しているけど大丈夫かな」「お参りできないけれどご先祖様は怒っておられるだろうか」というお悩みや不安はご無理のないことと拝察します。ですが、極楽浄土には「病」という苦しみはございませんので、極楽浄土の亡き方々はむしろ私たちを思いやってくださっているのではないでしょうか。もし身の回りにそのようなお悩みを抱いた方がおられるときは、この「一心専念の文」とともにお念仏をお唱えいただければありがたく存じます。

皆様が心置きなく安心してお参りされ、親族朋友で笑い合える日が一日も早く訪れますよう、日々ご祈念しております。合掌

如来大慈悲 哀愍護念 南無阿弥陀仏