明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

皆様におかれましては、思い思いの新年をお迎えになられたことと拝察いたします。久々の長期休暇を満喫された方もいらっしゃれば、親戚をお迎えする立場で忙しく立ち働かれた方もいらっしゃることでしょう。皆様それぞれのお役目お疲れ様でした。

私事で恐縮ですが、小学4年生になった甥が野球に興味を持ったそうで、年末年始は一緒に野球の練習をしてくれました。

夢中でバットを振り、どんどん上達する甥を見て、子供の成長するパワーとは凄いものだなと驚かされました。伯母という気楽な立場だからかもしれませんが、ヒットが打てたと飛び上がって喜ぶ姿が可愛らしく、同時に自分が子供だったころを思い出しました。

幼いころから私たち姉妹の面倒を何くれと見てくれたのが母方の祖父母でした。新しもの好きで、AV機器集めが趣味だった祖父は孫たちと良くTVゲームで遊んでくれました。甘いものに目がなく、孫とはしゃぐ祖父をたしなめながら、祖母はいつもいい匂いのするパンをご馳走してくれました。今でもパンの良い匂いがすると、祖父母の家が思い出されます。祖母は辛抱強く働き者で、自分のことよりもいつも他人を気に掛ける人でした。

私が大学生の頃に祖母は亡くなりましたが、苦しい時期に捨て鉢な気分になるたび、忍耐強かった祖母の姿が思い出されました。祖父は私が僧侶資格の合宿を終えた直後に亡くなり、私が習い覚えたばかりの枕経をお唱えいたしました。同席した母や親戚が、「孫にお経を唱えてもらえてよかったね」と涙する姿を見て、未熟の身ゆえにおぼろげではありましたが「僧侶の自覚」が芽生えたように思います。

甥の成長が自分のことのように喜ばしいと感じたとき、「祖父母も私たちの成長を我が事のように喜んでいてくれたのかな」と改めて気づき、亡き祖父母に手を合わせる気持ちになりました。

仏教には「随喜(ずいき)」「随悲(ずいひ)」という言葉があります。「仏様は、私たちが嬉しいときはともに喜び、私たちが悲しいときにはともに悲しんでくださる」という意味です。私たちの喜怒哀楽に常に寄り添ってくださるのが仏様という存在です。

そしてまた、極楽浄土におられる亡きご先祖様や有縁の方々も、私たちの心をいつも気にかけてくださっています。私が甥のピンチの時には力になりたいと思うように、亡き方々も、「辛いときには力になりたい、心の支えになりたい」と思ってくださっていることと存じます。

年末年始が「この世に御存命の方々とご縁を深める機会」だとすれば、命日や回忌法要は「亡き方々ともご縁を深める機会」と言えます。日頃ご多忙の方も多いかと存じますが、機会があれば思いを致し、手を合わせていただければ幸いです。

本年も、皆様が佳いご仏縁に恵まれますよう、父ともども日々祈念いたしております。合掌