みなさまこんにちは。住職の石井綾月です。

早いもので、もう一月も三分の二が過ぎ去りました。2月には節分と立春という、「季節の変わり目」の行事がやってまいります。子供の時分は、何故これほど寒いのにもう春なんだろうと不思議に思ったものでした。

「節分」と「立春」は、太陽の動きを基にした「二十四節気(にじゅうしせっき)」という考え方が元になっています。夏至と冬至、春分と秋分が年ごとに決定され、4つの時節をさらに三等分したのが二十四節気です。農作業に役立つ暦として、旧暦とともに古来より重宝されてきました。

現代では、一年中スーパーに野菜や魚が並び、便利ではあるものの季節の移り変わりを実感しづらくなっていますが、当山では立春前後に寒梅が花をつけますので、お参りの際に目を向けていただければ幸いです。

さて、浄土宗ではこの時期大変重要な行事がございます。1月25日に、浄土宗を開かれた、宗祖法然上人の御命日をお迎えするのです。当山も、地元の浄土宗寺院とともに、内内ではありますがご法要をおつとめしております。

大本山増上寺では、より多くの方にお参りいただけるよう、4月上旬に御忌大会が修されますが、法然上人の正確な御命日は、建暦2(1212)年1月25日です。満78歳で亡くなられた法然上人が、亡くなる2日前に遺されたのが「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」という御遺言です。自分が世を去った後もお念仏の教えが正しく広まるようにと願いを込め、お念仏の意味や心構えについて説かれています。(全文参考:浄土宗ホームページ)

 その中盤に、私の座右の銘とも言える一節がございます。

「念仏を信ぜん人は、たとい一代の法(ほう)をよくよく学すとも、
 一文不知(いちもんふち)の愚鈍の身になして、
 尼入道の無知のともがらに同じうして、
 智者(ちしゃ)のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。」

「一代の法」とは、お釈迦様の教えを指します。「尼入道」は女性差別をしているわけではありません。当時は、位を次代に譲った方や、夫を亡くした方は出家するしきたりがありました。そういった、いわば仏道の初心者を「尼入道」と表しているのです。

念仏の教えを信じる人は、たとえお釈迦様の教えをよく学んだとしても、本質的にはその一節すら分からぬ愚か者と自らを戒め、念仏の初心者の方々がひたすらにお念仏をしているのと同じように、賢しげにふるまわず、心を手向けてお念仏をしなさい。
というのが一枚起請文の訳文です。

 人というのはつい「智者のふるまい」をしてしまいがちです。自分より成績の悪い人を小馬鹿にしたり、子供や若者を頭ごなしに怒鳴ったり、図に乗って勝ち組の如く偉ぶったり、枚挙にいとまのないほどです。私自身も己を振り返ると恥ずかしい気持ちになります。

法然上人ご自身は、「智慧第一の法然」と呼ばれるほど勉強熱心な、いわばエリートのお坊さんでした。その法然上人が、私たちが「智者の落とし穴」に落ちることがないよう、謙虚な心構えを思い出させてくださるご仏縁をとてもありがたく思います。

法然上人のお言葉のとおり、「お念仏の道」は、上下関係や老若男女、経験の深い浅いにかかわらず、全ての方々に等しく開かれています。お念仏をお唱えし始めるのに、今日からでも遅いということは決してありません。

私自身も常に初心を忘れずにお勤めを重ねていければと存じます。法要の日時や、初めてお寺と関わる方が疑問に思われることなど、小さなことからでも構いません。どうぞお気軽にお尋ねください。

皆様がよりよい季節の変わり目を感じられますよう、心よりご祈念致しております。

合掌