筆耕・文責:石井綾月

住職の與芝眞彰です。今回は、「中道」と題しまして、お話をさせて頂きます。

「中道」は「ちゅうどう」と読み、紀元前5世紀ごろに生まれ、仏教を開かれたお釈迦様の教えです。

お釈迦様はもともとインド北方、コーサラ国の釈迦族の王子でした。何不自由のない贅沢な暮らしに倦んでいた時、人間の持つ普遍的な苦しみ「生老病死」を目にし、この苦しみを何とか救いたいという志を持つようになります。ついには両親、妻子を置いて出家し、修行の旅に出るのですが、当時の修行というのは大変辛く苦しいものでした。人々はバラモン教という教えに則り、釘を刺した板の上で何年も座禅をしたり、片手で物を持ったまま何年もそのままの姿勢を保ったり、一般的な生活ではとてもできないような苦しみを通じて、欲望を抑える研鑽を積んでいました。
お釈迦様も、断食で骨と皮になりながら何年も座禅をしたり、人の嫌がる場所や物にあえて接触しながら暮らしたりと、想像を絶する苦痛に耐えながら修行をされます。しかし、6年に渡り生死をさまよう苦行の結果、苦行では悟りは得られないと分かり、修行を中断して里に下りたところ、スジャータという女性に乳粥のお布施を受け、命を救われたと言われています。
その後、余りに辛い苦行はやめ、かといってだらしない生活をするわけでなく、中間、ほどほどの状態で修行をされた結果、お釈迦様は悟りを得て仏様=「仏陀」となられました。
この「苦行では悟りは得られない」とするのが「中道」という教えです。

私事になりますが、私は一昨年の暮れに入院し、現在は医師の仕事も非常勤の勤めとなっています。
それまでの私の人生はまさに「仕事人間」と言ったもので、劇症肝炎の専門医として死病に取り組む傍ら、病院経営、執筆、取材協力、自坊の法務と、目まぐるしい日々を送ってきました。劇症肝炎の救命率を上げたことは私の自信の源の一つであり、生涯医業を続けたいと思っていましたので、第一線を退いた現状に気分が落ち込むこともままあります。非常勤の医業に自坊の法務と、仕事がない訳ではないのですが、それでも休日の多さに違和感を覚えるのです。

そこで思い至ったのが、表題の「中道」という言葉です。
お釈迦様は、熱心な修行にも関わらず悟りに至れずに苦しむ弟子に、たとえ話としてこんな話をなさっています。
「琴の弦は、張りすぎていても、緩みすぎていても、良い音は出ない。修行もそれと同じで、自らを痛めつけすぎても心穏やかではいられないし、弛みすぎていては、怠惰に浸ってしまう。琴の音を整える時のように、中ほどを行くべきである」

思い返せば確かに、多忙な時期は気持ちに余裕もなく家族との交流もままなりませんでした。大きな使命感を持って仕事に邁進する反面、雑務や家庭のことなど細かいことは些事として他人に任せていたように思います。見落としてきたもの、失ったものも少なくはないでしょう。

では、私のような「昭和のモーレツお父さん」にとって現役引退後の「中道」とはどういった形でしょうか。もちろん、趣味や夢をお持ちの方は心置きなく満喫されるのも良いかと思います。しかし、これといった趣味もなく、長年家族のため尽力してきた世代が、心豊かに過ごす秘訣はないものでしょうか。

この難しい問いへのヒントとなったのが、「鈴木正三(しょうさん)」という禅僧(※1)の労働観「世法即仏法(せほうすなわちぶっぽう)」という考え方です。
「世法即仏法」とは、「どんな身分や職業、立場であっても、自分の働きにおいて、欲にとらわれず、人のためを思って行うならば、それはすなわち仏の修行と同じである」という意味です。

私は現役時代のように働けない自分に忸怩たるものを感じていましたが、「働き」というのはお給料をもらえる「仕事」だけではありません。お金の形にはならない、多くの方々の働きによってこの社会は支えられています。また、同じ仕事をするに当たっても、いかに少ない働きで高い給料をもらうかにこだわるのではなく、周囲や顧客のために働くことを心がけることで、毎日が仏への道となります。
思えば、劇症肝炎という救命率の低い病気との長い闘いの中、回復した患者さんやご家族の笑顔で、あらゆる疲れが吹き飛んだものでした。単なる達成感、社会の役に立てた喜び以上の、何者にも代えがたい何かを、私自身も頂いていたように思います。

以前に比べ、私の受け持ちの患者さんは減りました。ですがその分、より細やかな部分で患者さんの状態に気づくことができるかもしれませんし、お檀家さんや仏縁の方々への気働きもできるかもしれません。できることはいくつもあるのではないか、と気づいたのです。

もちろん、非人道的な労働環境は改められるべきですし、生きていく上である程度のお金は必要です。今まで頑張ってきたのだから、しばらくはゆっくりしたい方もいらっしゃるでしょう。
そこは「中道」です。自分の限界まで譲るのでもなく、かといって何もしないでもなく、今までより少しだけ、人のために動く、「働く」ということを心がける。身の回りの人に笑顔で接し、感謝の気持ちを表してみる。小さなことから仏への道を志すことで、残された時間を温かく豊かなものにできるのではないでしょうか。

私もまだまだ仏への道半ば、手探りの状態で昨今の日々を過ごしていますが、今回のお話が何かの手掛かりになれば幸いです。また日を改めて、自分自身と仕事との関わりを見つめなおしてみたいものです。

(※1)鈴木正三(1579~1655)
三河松平家の家臣。家康・秀忠に仕え、関ヶ原の合戦、大阪冬の陣、夏の陣に出陣後、42歳で出家し、54歳で石平山恩真寺の開祖となり、61歳で大悟、77歳逝去。著書多数。逝去6年後に出された『万民徳用』において、問答形式で述べられた「世法即仏法(せほうすなわちぶっぽう)」という正三独自の仏教を基にした労働観を考察する。